映画ビッグ・フィッシュのあらすじと感想

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公開日:2003年



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あらすじ

ジャーナリストの青年ウィル・ブルーム。ある日、妻と暮らす彼のもとに、母から父が危篤だという連絡が入る。

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ウィルの父、エドワード・ブルームは、自分の壮大な人生を語ることが大好きで、そしてそれは聞く者を非常に惹きつけた。
その話はどれもが奇想天外で現実に起こるとはとても思えないものばかり。しかし周囲の人々は、エドワードの話もエドワード自身も好きで慕っていた。

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ウィルも子どもの頃は、そんな父を好いていて話に魅入られていたが、成長するにつれ、それらがとても信じがたい・嘘に違いないと考え、それなのに嘘だらけの自分語りをする父に不信感を抱き始める。

 

そしてウィルの結婚式の日、父と子の距離は、より明確になる。
スピーチを頼まれたエドワードは、ウィルが産まれた日に、川で巨大な魚を釣った話をする。

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その魚は、川で大泥棒の化身と言われ、そいつを釣り上げるために自分がどうしたか等の話を、エドワードは面白おかしく話し、人々を魅了し、式場は笑いに包まれる。

 

しかし、厳格に結婚式を進めたいと考えていたウィルはその様子を大層不快に感じ、その上、自分が主役のはずの結婚式でまでそんな様子の父に、ついに怒りや不信感を爆発させ、完全に距離をとってしまう。

 

そのまま長い間疎遠になっていた父に、今回の危篤の連絡を受け、久しぶりに会う。彼の妻ジョセフィーンは、妊娠中であったが、彼女もまたエドワードの物語とエドワード自身に魅了されている一人であったため、ウィルとともにかけつける。

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しかし、老いて思うように動けず、父エドワードは自身の物語を変わらず語っていた。
そんな父にウィルは、今度こそどうか本当の父を知りたい・見せてほしいと、もう一度しっかり向き合おうとする。

 

長い時を経ても相変わらずな父と、必死に向き合おうと話し、同時に父について調べていくうちに、ウィルは、今まで知ることのなかった・気づかなかったこと、ホラ話な中に含まれた真実・大切なことに気づいていく。

 

容態が急変し、ウィルはまるで父のそれのように語りかけ始める。
今生の別れを前にして、ようやく向き合い大切な繋がりを確かめる父と子の物語。

 

感想

もう随分前の作品ですが、何度も見返したい大好きな映画であり、観るたび魅せられていきます。
初めて観たときは、劇場で母と一緒にでした。映画好きの母はティムバートン監督の作品も好みの一つで、また私も好きな作品が多かったので、それがきっかけで観に行きましたが、こんなに心に残るものになるとは思っていませんでした。

 

この映画は、父エドワードが語る彼の過去の話の世界(エドワードの物語の世界)と、病床のエドワードのもとを息子ウィルとその妻が訪れた今現在の現実世界を、入れ替わり立ち替わり映す形で進んでいきます。



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エドワードの物語の世界は、この映画の感想として凡庸な言い方なのかもしれませんが、本当に「おとぎ話のような」という言葉がぴったりの世界です。
まず色彩が、本当に夢に描いたような世界を創り出しているなと感じました。

 

奥さん(ウィルのお母さん)との出会いや結ばれるまで、共に歩んできた人生の物語世界で、一目惚れして時間が止まったり、飛行機雲で愛を伝えたり、真っ青な空と一面の黄色い水仙の中で告白したり、その有り得ないエピソードの数々を表現する映像は、それはもう彩り豊かで、絵本のようなロマンチックさがあり、自分は何故かそれだけでも目頭が熱くなってしまいました。

 

パッと思い浮かんだため、奥さんとのエピソードを今あげてみたのですが、その他のエドワードが歩んできた壮大な人生も、奇想天外な登場人物たちや街が出てきたり、色とりどりで、ただただワクワクさせられるような映像で織り成されています。

 

この色彩や奇想天外な登場人物の姿は、とてもティムバートンらしいなという感じがしました。
この映画は原作があり、もちろんそちらには文章だからこその良さもたくさんあったのですが、この彩りは映画だからこそ描けるものだなと感じられ、原作と映画が上手くマッチした点の一つなのではと思います。

 

それに対し、今現在の現実の世界は、酷く殺風景というか、冷たい感じがするくらいに、妙にリアルです。
最初はその差に、現実と空想の明確な壁を感じてしまったり、あのワクワクする素敵な世界も所詮は夢物語というような感覚さえ抱いてしまって、妙に寂しくなるのですが、その感覚は話が進むにつれて大きく変わっていきました。おそらく父の本当の姿を探そうと奮闘する息子のウィルが変わっていくのと一緒に。

 

ウィルは父と話してみるだけでなく、自分なりに父の過去を探っていきます。
その中で、父の語る物語が、確かに現実のことではないけれど、でも決して全てが嘘ではないことを知っていきます。そして、それを最初に気づかせてくれたのは、お母さんでした。

 

嘘本当の境目や、それらをどう捉えるかは、見る人によって変わってくると思うので、本当にできるなら見て自分自身で感じてほしいなと私は勝手に思っているのですが、空想の話の中にあって、でも確かに真実だったことの最たるものの一つは、エドワードと奥さんが本当にお互いのことをたまらなく大好きで愛していたという点かなと私は思いました。

 

妙に冷たく殺風景に感じる現実世界にあっても、あぁ2人はお互いのことを大好きなんだなと思うシーンが織り込まれていて、私はそれを一つのきっかけに、この世界の見え方が変わりました。

 

現実的に見れば、エドワードの語る話は、おそらく現実であったことを、大きく大きく広げて誇張して、語ったものだったのだと思います。だから、話のイメージほどではないが、たぶんこの場所なんだろうとか、この人なんだろうという部分がたくさん出てきます。

 

でもエドワード自身にも、エドワードの話が好きな人たちも、きっとそれがどれだけ嘘か本当かなんてことは、さして問題ではなかったのかなと思います。

 

見たもの・感じたものを面白おかしく感動的に語ることで、愛するものや自分の人生そのものを更に愛し、大切に思い、そしてそうやって物語る物事こそ、エドワードにとっては真実であり、嘘偽りない自分自身だったのだと思います。

 

そして、奥さんをはじめ、エドワードを好く周囲の人々もまた、彼の話が面白おかしくて好きだというだけでなく、そんな彼自身が眩しくて暖かくて大好きだったのだと思います。

 

映画の世界ですし、この映画は基本的に完全な悪い人が出てこないというか、優しい世界観なので、現実では同じようには考えられない、いかない部分も多いと思います。

 

でも、本当に大好きで愛していて大切な誰かに対しては、嘘か本当かなんて大した問題ではないことも、きっと現実世界にもあって、もっと何か言葉では到底言い表せないような部分で信じて繋がりを持てることもあると、自分は思って生きていたいなと、この映画を観て思いました。



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